前編は、まずはJR関内駅の南口改札からスタート。横浜スタジアム、日本大通り、象の鼻パーク、赤レンガ倉庫、北仲COOP、汽車道を訪問。それぞれの場所の歴史を振り返りながら、今も残る建造物や遺構、地形などを確認しながら巡りました。ハマブラ!の共同主催者のガイドで、現在に至るまでの変遷の解説を伺ったり、参加者の知識をシェアいただいたりして、コースを満喫しました。最後は、JR桜木町駅に向かいそこから後編のスタートポイントの横浜駅までは電車で移動しました。
JR関内駅南改札に集合。ここで参加者による自己紹介。主催者より本日の行程の案内を聞きました。関内という地名の由来は、現在の関内駅と伊勢佐木町の間を通る高速道路はかつて川が流れていて、そこを境に関内と関外に分かれていました。関内は外国人居留地で、そこには関所が設けられていました。
ツアーでは触れませんでしたが、横浜公園では「横浜開港祭のバザー in 横浜公園2018」が開催中でした。なんと1920年(大正9年)から続いているイベントなんです!6月2日の横浜開港記念日を祝い、同日を含む約1週間、食品、植木市、雑貨の販売やパフォーマンスなどが行われます。
ツアーでは、横浜公園の歴史についてのトリビアタイム。今は横浜DeNAベイスターズが本拠地としている横浜スタジアムがありますが、ここは元々は港崎遊郭があった場所です。当時の取り決めで火災などが発生したら、再建はしないという条件があり、明治9年(1876)に横浜公園は誕生しました。
日本大通りは、1870年(明治3年)に横浜公園と象の鼻波止場を結ぶ日本初の西洋式街路と完成し、1875年に「日本大通り」と名付けられました。当時は歩道3メートル・植樹帯9メートルを含む36メートルの幅員を持ち、横浜のメインストリートの役割を果たしました。「あぶない刑事」では豪快に犯人の車が横転したりしていました。
ツアーでは、現在THE BAYSが入る日本綿花(現在の双日)が関東大震災後に建てた建物の様に、当時の建物の特徴として玄関は数段階段を上がる構造であることや、地下室のための明り採りがあるなど伺いました。また、日本大通りをよ〜く見ると、緩やかな坂になっており、その頂点の場所が埋め立て前の「横浜」の浜の海岸線であったのを確認。そして、KN日本大通ビル1号館に残る、今でも現役の稀少な手動式のエレベーターを見学しました。(一般公開されている施設ではないため、見学の際はご注意ください。)
横浜情報文化センターのある土地は、近代下水道発祥の地であり、消防救急発祥の地です。当時の設備の一部が青空展示されていたり、旧居留地消防隊地下貯水槽遺構を見ることができます。
1859年(安政6年)に 東波止場(イギリス波止場)と西波止場(税関波止場)の2本の突堤が幕府によって建設され、横浜港が開港しました。つまり横浜港発祥の地です。1867年(慶応3年)に西波止場が弓なりに湾曲した形に築造され、その形状から象の鼻と呼ばれるようになりました。そして現在の象の鼻パークは、象の鼻波止場を明治中期の形状に復元し横浜港開港150周年となる2009年(平成21年)6月2日に開園したものです。
ツアーでは、1896年(明治29年)に西波止場の先端に築造された現在の大さん橋について話を伺いました。前身施設は名実ともに桟橋でしたが、2002年(平成14年)に完成した現在の大さん橋は構造的には「桟橋」ではなく「岸壁」なのです。また大さん橋の上座はみなとみらい側の陸よりの位置であり、横浜港を母港とする飛鳥IIの定位置の停泊場所となっています。
赤レンガ倉庫は、明治幕府によって建設された保税倉庫です。2002年(平成14年)4月12日に1号館は展示スペース、ホールなどの文化施設、2号館は商業施設となり、付近一帯は広場と公園を備える赤レンガパークとして整備されました。1号館は関東大震災で半分倒壊したため2号館より短い建物になっています。
ツアーでは、2号館の裏に残る旧税関事務所遺構をや旧横浜港駅のプラットホームを見学しました。旧横浜港駅は、新港埠頭4号岸壁の脇に建設され、当時の上流階級が東京駅から列車のに乗り、氷川丸を始めとする船でシアトルなどの外国へ出国する場所でした。今は面影もありませんが、ここにはかつて外国航路用の建物がありました。2階に旅客待合室、食堂、貴賓室、携帯品検査所、1階に貨物置場、旅行荷物検査所、貴重品置き場などが設けらており、とても豪勢な美しい建物だったそうです。
現在、北仲地区は再開発の真っただ中にあります。ここ北仲COOPがある場所は、横浜市指定有形文化財「旧横浜生糸検査所付属倉庫事務所」のある北仲BRICKの仮設の建物「仮説北仲BRICK」です。北仲COOPは、幅広い層からなるアーティストグッズや作品を集めたミュージアムショップです。
ツアーでは、北仲COOPを運営している方に北仲COOP creative Shop & Galleryについて伺いました。この拠点では、様々なイベントスペースとしても利用可能とのことです。
汽車道は、1911年(明治44年)に開通した貨物線(横浜臨港線)の跡地です。1989年の横浜博覧会の際には、山下公園まで期間限定で汽車が復活運用していました。
ツアーでは、港一号橋梁や港二号橋梁について軽〜く触れました。開港場編はここが最終ポイント。この後、桜木町駅まで行き電車に乗って神奈川台編の集合場所へ向かいました。
後編は、横浜駅「きた東口」からスタート。今でこそ京急「神奈川駅」は全線で一番乗降客が少ないとされるほどの地域ですが、かつて東海道五十三次の宿場の一つとして神奈川宿が栄えていたエリアです。当時の面影が残る旧東海道、開港時に一時的にアメリカ領事館として使われたことでも知られる本覚寺、文久三年(1863年)から続いている料亭「田中家」など神奈川宿の名所を訪問。案内人は、しぇあひるずヨコハマのプロジェクトマネージャー。
現在の横浜駅は、三代目です。1日平均の乗降客数は約226万人(2016年度)もあり、一駅に乗り入れる鉄道事業者数が日本最多の駅です。ここで神奈川台編から参加する方々と合流し、神奈川台編へと繰り出しました。ここからは、しぇあひるずヨコハマのプロジェクトマネージャーの方に案内していただきました。
横浜駅の15号線を歩きながら、第一京浜と第二京浜が交わる三叉路に向かいました。ここは、旧東海道の一部の通りです。箱根駅伝が通る場所でもあり、絶好の中継スポットだそうです。海側は当時は金港(横浜港のこと)にある倉庫街でした。元々は一帯は三菱地所の土地で、今では再開発が行われて高層マンションやオフィスビルが立ち並ぶ場所に様変わりしました。
京急神奈川駅のすぐ脇にある第二京浜と京急やJRの線路をまたぐ青木橋の上からお話を伺いました。ここはかつて権現山という山がありました。明治頃、旧東海道と線路を交差させるために切通しを掘削されて現在の姿になります。横浜駅方面を望むと、かつての旧東海道があったラインを見受けることができます。
幸ヶ谷公園は、鉄道が抜ける以前は本覚寺の建つ高島台の丘と尾根続きであった。戦国時代の古戦場跡でもあり、権現山城があったとされる。その後、鉄道用地埋め立てのために削られ現在の丘のような姿になった。現在では、桜の花見の名称となっており、地域住民の憩いの場となっている。ソメイヨシノの腐朽病害が進んでおり、倒木の危険性があるということで今年伐採が行われる予定である。その代わりに、新たにジンダイアケボノが補植される予定です。
洲崎大神は源頼朝が安房国(現、千葉県)一宮の安房神社の霊を移して建久2年(1191)に創建したと伝えられています。このような場所が今も残っているのは驚きです。
開港当時、外国人が宿泊できる場所は限られていました。その中でも、土地も部屋もあったお寺が宿泊場所として利用されてきました。甚行寺もその一つで、かつてはフランス公使館だったそうです。
現在の東横フラワー緑道は、みなとみらい線と東急東横線との相互直通運転により、東急東横線の東白楽駅~横浜駅間が地下化されるまで線路があった場所です。旧東横線高島山トンネルの横浜駅寄りの出口付近にはかつて「神奈川駅」が存在しました。
大綱金比羅神社は「横浜のこんぴらさん」として、800年の歴史を誇る地元の守り神です。1911年(明治44年)、飯綱権現と金刀比羅を崇拝する2つの神社が合祀されました。その後、港の発展により、海の神である金毘羅信仰が強くなりましたが、境内には山岳信仰のシンボルとも言える「天狗像」が今も建っており、天狗伝説として語り継がれているそうです。「龍神池」の奥には弁天様を祀っている「弁財天」があり、そこはちょっとした洞窟の中にあるそうです。
田中家は、東海道五十三次の中の「神奈川宿」として栄えていた頃から続く老舗料亭です。かつては海沿いの景勝地として広く知られていました。純和風の優雅な店内で、四季折々の食材を使用した会席料理や黒毛和牛のしゃぶしゃぶを提供しています。夕食はなかなか手が出せませんが、ランチは比較的リーズナブルな値段で食べられる懐石もあるそうです。
1226年に建立された本覚寺は、幕末の横浜開港時には、横浜港が一望できることからアメリカ領事館として3年間ほど接収され利用されました。ちなみにこの場所は、現在の高島台から幸ヶ谷公園(権現山)にかけて続いていた丘の上にあり、戦国時代の青木山には青木城があったとされる。
江戸時代以前から存在する歴史ある寺院である。現在の本堂がコンクリートの梁を組み合わせた構造物の上に乗っている様はとても特徴的です。かつては、本堂の裏にあるマンションの敷地もこのお寺のものであり、旧道街道に正門が面していた。しかし、その後開発によりお寺の敷地をセットバックしてそこにマンションが建った。その結果、本堂が道に接しなくなってしまったため、本堂を持ち上げて現在の坂の上に正門が作られた。
そして、いよいよゴールのしぇあひるずヨコハマに着きました。「しぇあひるずヨコハマ」は、横浜駅徒歩圏の丘の上に立つ、シェア型複合施設です。ビンテージの共同住宅には、オープンダイニング、展望台、畑などが備わっており、宿場神奈川・港町横濱の記憶を今に伝え、「長屋(NAGAYA)・旅籠(HATAGO)」をコンセプトとした、つながり豊かな暮らしを実現しているところです。今回はここが懇親会の会場となり、横浜開港祭の花火を鑑賞しました。今回の開港場編と神奈川台編と合わせて約12,000歩でした。みなさんお疲れ様でした。そして、ガイドの皆様ありがとうございました。
「ハマブラ!」の最後は、しぇあひるずヨコハマにて懇親会が行われました。美味しい食事やドリンクをいただきながら、横浜開港祭の花火をみんなで鑑賞しました!!海風が心地よく最高でした!!