横浜発祥のものが沢山

今では当たり前になっていたり全国的にも有名なモノの多くは実は横浜から始まったものが数多くあります。黒船来航と横浜開港を経て貿易港として発展していく過程でたくさんの異国文化が入ってきました。西洋の生活様式が入ってくることで、パンやアイスクリームといった食文化を始め、ホテル、自動車、スポーツや新しい技術なども多くが横浜からスタートします。また日本国内においても重要な拠点ということで東京と2点を結ぶものの多く(鉄道や通信など)も同様に横浜が発祥となっています。現代にもの残る様々な発祥地を訪れたり、発祥のルーツを持つものを見たり、触れたりして歴史を振り返りながら横浜巡りをしてみてはいかがですか?現在のみなとみらいの現代ビル群とは違った異国情緒残る横浜をのんびり探索してみてください。

テニスの発祥地
ナポリタンの発祥地
パンの発祥地
アイスクリームの発祥地
ケチャップの発祥地
競馬場の発祥地
ビールの発祥地
電話の発祥地

横浜が発祥のグルメ

横濱馬車道あいす横浜赤レンガ倉庫2号館

明治2年5月9日、開港間もない横濱馬車道通りで町田房造が「あいすくりん」を製造販売する氷水屋を開業しました。この氷菓子「あいすくりん」が日本のアイスクリームの始まりと言われています。当時は卵黄と牛乳、砂糖のみで作られ、カスタード風味のシャリッとした食感が特徴のあっさりとした味わいがあったようです。その風味を現代風にアレンジし再現したのが「できたて横濱馬車道あいす・カスタード」です。

赤レンガ倉庫2号館にあるYOKOHAMA BASHAMICHI ICEでその出来立てをいただくことができます。さっぱりとしたカスタード風味のあいすはカップに入れられ、最中で蓋をした状態で提供されます。サクサクとした最中を崩しながら、素朴で、どこか郷愁的な味わいを楽しめます。他にも「特選ミルク」「カスタード&特選ミルクミックス」など計6種類の出来立てが購入できます。

また横浜市内の一部のお店やコンビニなどでは、カップあいすやあいすもなかなどが購入できます。なかなか横浜まで行けない!という方は、タカナシミルク楽天市場店で、掲載している写真のカップあいす(カスタード、渋皮栗、緑茶みるく、みるく大納言の4種類)とあいすもなか(ミルク、チョコレート、小豆、抹茶の4種類)がセットになった「横濱馬車道あいす」ギフトセットを購入することが出来ます。嬉しい送料無料です!

そして、毎年5月9日にはあいすの発祥を記念して、馬車道商店街では「あいすくりーむ発祥記念イベント」が行われています。チャリティー募金に参加すると「馬車道あいす」が無料でもらえます。

ショートケーキ不二家レストラン 横浜センター店

日本で最初のショートケーキは、大正11年(1922年)、不二家の創設者、藤井林右衛門によって販売されたやわらかいスポンジを使って日本人向けに改良されたものです。そのため、海外ではパンの間にイチゴなどを挟み、上にクリームを乗せた「biscuit」と呼ばれるものをいいますが、日本では不二家のショートケーキの類をさすようになりました。現在日本で「ショートケーキ」と呼ばれているケーキは、海外では主流ではなく、いわば日本生まれの洋菓子なんですね。(不二家の歴史より)

そのショートケーキが生まれたのが伊勢佐木町店(現、横浜センター店)で、現存する建物は1937年の建築で設計したのはアントニン・レーモンド。建築に少しでも興味のある方なら誰もが知る、あの帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトの弟子で、昭和初期と戦後にいくつものハイカラ建築を手がけた人物なのです。今となっては多種多様なスイーツがひしめく日本ですが、歴史的建造物で当時に想いを馳せながらショートケーキをいただくのもいいですね。ちなみに日本で初めてクリスマスケーキを発売したのもの不二家なんですよ!

食パンウチキパン

元町にある横浜一古いベーカリー「ウチキパン」。その歴史は古く、横浜が開港されてイギリス人が多く訪れるようになった横浜で、 文久2年(1862年) にイギリス人のパン職人ロバート・クラークによりイギリスパンを製造する「ヨコハマベーカリー」が設立されたのが始まりです。イギリス人船員向けにパンの販売を行なっていたこともあり、パンの本流は大型イギリス風山型及び角型食パンでした。これが食パンの元祖と言われています。

このお店で修行をしていた打木彦太郎(ウチキパンの創業者)が、明治21年(1888年)にロバート・クラークから暖簾を引き継ぎ、明治32年(1899年)に「横浜ベーカリー宇千喜商店」に屋号改名。イギリス人の常食だったパンを日本式に本格的な食パンとして一般家庭向けに販売を始めたのがウチキパンなのです。そして昭和38年(1963年)に3代目によりウチキパンと改め現在の4代目に至ります。

創業当時から売られている名物が、日本の食パンの元祖とされるレシピを受け継いだイギリスパン「イングランド」です。最高級の小麦粉を使い、じっくり低温発酵させて焼き上げたパンは、もっちりふんわりと香ばしいです。最近もてはやされている高級食パンなどは甘みが強い傾向にありますが、ウチキパンの食パンは主食として食べる事が念頭に置かれているので糖分はほとんど含まれず、甘みはありません。そんな「イングランド」の通のハマっ子のオススメの食べ方は、この後に掲載している「大木のハムとソーセージ」で記載しています!

ハム大木のハムとソーセージ

日本で初めてハムを作ったとされるのが、元町にある老舗精肉店「大木のハムとソーセージ」です。初代の大木市蔵が、ドイツ人ソーセージ職人の「マーテン・ヘルツ」に出会い、弟子入りをしドイツ式の食肉加工法を教わりました。第1次世界大戦中、ドイツ人であるヘルツ氏が国内で事業をできなくなり、市蔵氏が秘伝の技術を伝授され店主となりました。そして大木市蔵自身もハム・ソーセージ専門店を開設したのが始まりです。

後に数々の賞を受賞・東京帝国大学(現在の東京大学)で教鞭をとり、その技術は多くの職人に引き継がれました。晩年には規格運営委員長を勤め、ハム、ベーコン、ソーセージの日本農林規格(JAS)の制定、運営にも深く関わり日本の食肉加工業界の礎を築いた、と、なんだかとんでもない方なんです!

そんな「大木のハムとソーセージ」の一番人気は売れ切れ必至のコンビーフです。よく見る缶詰のものとは全く異なり、一見するとローストビーフのような見た目で、コンビーフが苦手な方でも美味しく食べれてしまうほどの旨さです。シンプルな味つけで牛肉本来の味が楽しめます。

そしてもう一つ忘れてはならないのが、ベーコンとハムの間のような味わいのベイクドハムです。焼き上げる際にリンゴを乗せて焼いているとか。 脂身までおいしいハムはそのまま食べてももちろん美味しいのですが、フライパンで温める程度にすると出来立ての味が再現できそうです。先に紹介したウチキパンのイングランドをトーストして、このハムを挟んで食べるのが地元の通な食べ方なんですよ!お店同士が近いので、ぜひ両方行ってみてください。

シウマイ崎陽軒

横浜名物と言ったらやはり崎陽軒のシウマイですね。明治41年(1908) 「崎陽軒」を創業し、創業者・久保久行・コト夫妻が横浜駅構内で商売を始めました。大正12年(1923年)関東大震災によって壊滅的被害を受けた横浜で、当時の支配人であった野並茂吉は、崎陽軒の将来性を考えた際に、小田原には蒲鉾、沼津には羽二重餅、静岡にはワサビ漬、浜松にはウナギというように、土地の名物を工夫していたことに気づきました。そこで、横浜名物を久行の孫・久保健と共に作ることに。

昭和2年、その頃有名になっていた横浜南京街(現在の横浜中華街)を歩き、突き出しに出される「シューマイ」に目をつけました。汁もないので弁当の折詰には適していたのです。しかし、シューマイとて、冷めたらとても食べられる物ではなかったそうです。そこで、南京街の点心職人「呉遇孫(ごぐうそん)」をスカウトし、最後には久保も野並も調理場に入り、昭和3年3月、冷めてもおいしいシウマイが完成しました。揺れる車内でもこぼさぬよう、ひとくちサイズとしたそうです。(崎陽軒の歩みより)

このような試行錯誤を経て、ハマっ子のソウルフードと言っても過言ではない崎陽軒のシウマイは誕生したのです。「昔ながらのシウマイ」は、昭和3年の発売以来、変わらぬレシピで化学調味料などは添加しておらず、豚肉と干帆立貝柱が出逢って生まれた豊かな風味が特長の冷めてもおいしい、一口サイズのシウマイです。他にも、新製法により、濃厚かつジューシーでふっくらとした食感の「特製シウマイ」やあさり、かに、えびシウマイなども販売されています。

ここでとっておき情報です。店舗によってそこでしか味わえない限定シウマイも存在します。横浜駅にある崎陽軒本店では、点心師がひとつひとつ丁寧に作り上げた「チーズとバジル入りサーモンシウマイ」、水クワイのシャキシャキとした食感が心地よい「クワイシウマイ」、そしてフカヒレの独特な食感と大葉が香る「フカヒレと大葉シウマイ」の3種類の「本店オリジナルシウマイ」をいただくことが出来ます。これらは、ひとつひとつ手作りのため、4日前までのご予約が必要です。また、赤レンガ倉庫では、豚肉にズワイ蟹・赤米を練り込み、赤いレンガ色の皮で包んだ「赤レンガシウマイ」が食べらます。そして、2019年にオープンしたかりの横浜駅東口シウマイBAR店と横浜中華街の中華街シウマイBAR店では、話題沸騰中の「焼焼売(やきシウマイ)」が食べられます!

シーフードドリアホテルニューグランド

昭和2年(1927)に開業した横浜を代表するクラシックホテル「ホテルニューグランド」では、横浜発祥グルメの代表格とも言えるものが3つも考案されました。その一つが、初代料理長のサリー・ワイルの創作により生まれたドリアです。S・ワイルは、1927年(昭和2年)、ニューグランド開業の際にパリから招かれたスイス人シェフ。フランス料理のシェフでしたが、西欧料理全般に長けていて、イタリア料理やスイス料理なども得意としていました。S・ワイルは、メニューに「コック長はメニュー外のいかなる料理にもご用命に応じます」と記し、お客様の要望に合わせて様々な料理を作って提供していました。

ある時、滞在していた銀行家から、「体調が良くないので、何かのど越しの良いものを」という要望を受け、即興で創作した一皿を、お出ししたそうです。その時作ったのは、バターライスに海老のクリーム煮を乗せ、グラタンソースにチーズをかけてオーブンで焼いたもの。これが好評だったため、"Shrimp Doria"(海老と御飯の混合)として、レギュラーメニューになり、ニューグランドの名物料理の一つになりました。その後、弟子たちによって他のホテルや街のレストランでも提供されて広まり、今のように全国の洋食の定番料理「ドリア」と定着していったのです。このニューグランド発祥のオリジナル・ドリアは、名物料理として、今でもコーヒーハウス「ザ・カフェ」で召し上がることが出来ます。シーフードのうまみが凝縮された伝統の味わいはファンも多いです。

とっておきな情報として、横浜駅にある横浜高島屋8F ローズダイニングにはホテルニューグランドの直営店「ル・グラン」があります。こちらでもホテルニューグランド発祥の伝統料理が全て堪能することが出来ます。そして、ここだけの特別メニューとして、ナポリタン、シーフードドリア、プリン・ア・ラ・モードを一度に食べられる「ブルーライトセット」があります。一度に少しずつ食べたい方には最高ですね。1日限定15食です。

ナポリタンホテルニューグランドセンターグリル

ドリアと同じく「スパゲッティナポリタン」もホテルニューグランドで生み出された料理です。終戦後ホテルニューグランドはGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)将校の宿舎として7年間にわたり接収されていました。その頃、米兵が茹でたスパゲッティに塩とコショウで味付けをし、トマトケチャップを和えたものを昼食や夜食としてよく食べていたそうです。そんな彼らの粗食を見かねた二代目総料理長の入江茂忠が、ケチャップの代わりに生のトマト、玉ねぎ、ニンニク、トマトペースト、オリーブオイルを使ったオリジナルソースを考案。炒めたハムとマッシュルームを加えたスパゲティとこのソースを和え、仕上げにパセリのみじん切りとパルメザンチーズをふりかけた一品を完成させたのが始まりです。今でもホテルニューグランド1階にあるコーヒーハウス「ザ・カフェ」で、当時のままの味を楽しむことができます。

ここでお気づきかと思いますが、私たちに馴染みのあるナポリタンと違ってケチャップを使っていません。ケチャップを使ったナポリタンの発祥のお店は、昭和21年(1946)に横浜の花咲町で開業した洋食店「センターグリル」です。ホテルニューグランドの初代総料理長サリー・ワイル氏がホテルニューグランドの隣にあったセンターホテルを買収しオーナーシェフを務めました。終戦後、センターホテルが解散した際に料理人を務めていたワイル氏の弟子・石橋豊吉氏がホテルの名前の一部を譲り受け、現在の地にセンターグリルを開業しました。その際に、ナポリタンを主力メニューと考えていたが、ホテルの客層の違いを考慮して、当時高級品だったトマトではなくケチャップを使用。具材はホテルニューグランド同様ロースハム、ピーマン、玉ねぎ、マッシュルームで、さらに緑色のピーマンを入れることで見た目に彩りを加えました。こうしてお馴染みのケチャップナポリタンが誕生したのです。そしてもちろん今でもセンターグリルで食べることが出来ます。

プリン・ア・ラ・モードホテルニューグランド

終戦後7年間、GHQに接収されていたホテルニューグランドには、将校とその夫人が宿泊していました。ホテル内のボールルームでは、アメリカから送られてきた最新の映画が上映されるなど、横浜の中心にありながら、ここだけ外国のような特殊な場所でした。デザートに関しても、将校夫人が喜ぶ、見た目にも華やかさで満足できるボリュームのものを出す必要がありました。

「お料理好きの奥様から、アメリカの有名なお菓子学校の教科書をいただき、 それでいろいろ勉強したり、サジェスチョンを受けたこともあったようです。 味だけでなく、量もアメリカの方々に合わせないといけません。向こうのデザートは、 本当にドーンッといった感じで出てきますよね。プリン一個だけというわけにはいきません。そこで、アイスクリームや、アメリカから送られてきた缶詰の果物と組み合わせて出したんです」と当時のパティシエが考案しました。

しかし、これだけの量のデザートを従来のデザート皿にのせるのは難しかったため、コルトンディッシュという特殊な器に盛りつけて供されました。この洗練されたスタイルから、このデザートは、“プリン・ア・ラ・モード”と呼ばれるようになりました。今も、「プリン ア ラ モード」には、その器が使われています。こちらもホテルニューグランド1階にあるコーヒーハウス「ザ・カフェ」で、当時のままの味を楽しむことができます。

とっておきな情報として、横浜駅にある横浜高島屋8F ローズダイニングにはホテルニューグランドの直営店「ル・グラン」があります。こちらでもホテルニューグランド発祥の伝統料理が全て堪能することが出来ます。そして、ここだけの特別メニューとして、ナポリタン、シーフードドリア、プリン・ア・ラ・モードを一度に食べられる「ブルーライトセット」があります。一度に少しずつ食べたい方には最高ですね。1日限定15食です。

カクテルホテルニューグランド

日本で最初のホテルとされているのが、1860年(万延元年)に横浜外国人居留地に開業した「ヨコハマ・ホテル」です。横浜ホテルは和風・洋風混合の様式で、建物はコの字型の和風外観の平屋建てでした。ホテルの中には客室のほかに、レストラン、理容室、そしてビリヤードができるバーがあり、離れに厩舎もあったそうです。そのバーこそが日本初の洋式バーであるとされています。つまり横浜はバー発祥の地でもあるのです。客層は、日本人ではなく、船舶で港に立ち寄った外国人がお酒を楽しむ場所とされていました。しかし、1866年(慶応2年)に横浜居留地で大火事「豚屋火事」がおこり、横浜ホテルも焼け、日本最初のホテルの歴史はそこで終わってしまいます。ちなみに、横浜ホテルがあったとされる場所は、現在はティーラウンジ「横浜かをり」があります。

以後、横浜居留地では日本家屋の町並みが西洋風へと改められていきます。そして、外国人相手のホテルや店が港町横浜で次々にオープンしていきます。そんな中、明治6年(1873)8月16日にグランド・ホテルが開業しました。さらに、明治23年(1890)年には、フランス領事館や指路教会会堂を手がけたフランス人建築家サルダの設計で隣接地に新館がオープン。支配人にサンフランシスコでホテルマンを務めていたルイス・エッピンガーが就任します。

明治22年(1889)にエッピンガーによって日本初のオリジナルカクテル「バンブー(竹)」が考案されました。東洋の自然美と欧米の先端技術が調和した、当時の横浜のエキゾチックな光景に胸を打たれ、考案されたというカクテルは、竹のように素直でクセがなく、すっきりとした辛口です。さらに、明治27年(1894)にはグランドホテルのメニューに「ミリオンダラー」が登場します。当時はオールド・トム・ジンが使われていましたが、現在はドライ・ジンをベースにパイナップルジュースを使い、卵白の泡が表面を覆う美しいカクテル。エッピンガーは横浜から世界の港へ広めたことで知られています。

「ヨコハマ」は、明治から大正にかけて横浜に寄港していた客船の中で出されていたカクテルです。船が横浜の港に入港する時の「横浜の美しい夕陽」をイメージして作られたカクテルで、ジンとウォッカをブレンドするという、斬新な発想で生まれたもの。ジン、ウオツカ、オレンジジュース、グレナデンシロップ(ザクロの果汁のシロップ)にペルノを一滴加え、氷と一緒にシェイカーでシェイクするカクテルです。日本で他に、世界的有名なカクテルの名前となっている都市は、他にはありません。シティカクテルの最高傑作といわれています。

エッピンガーそんなグランドホテルを「リッツ・ホテル」や「カールトン・ホテル」のような世界に通用する一流ホテルにする事を目指して、改修や増築に取り組みます。新館は海を見渡せる60メートルほどのベランダ、300人収容の大食堂、読書室、社交室、ビリヤード室、バーなどが備えられ冷房も完備していたという。明治13年(1880)に宿泊したイギリス人デザイナー、クリストファー・ドレッサーは「パリのグランド・ホテルに滞在しているような錯覚がした」と述べたほど。そんな日本最大の豪華ホテルだったグランド・ホテルは、大正12年(1923)9月1日に発生した関東大震災により崩壊、火災で灰燼(かいじん)に帰してしまいます。

関東大震災からの復興計画として、横浜市がただちに外国人ホテル建設を取り上げ、昭和2年(1927)に竣工した建物が現在の「ホテルニューグランド」です。その名称は震災で失われたグランド・ホテルのような一流ホテルを建てる事が、復興を掲げる人々の心の拠り所となって欲しいという願いが込められ、公募で名づけられたといわれています。そして、客船のバーをモデルにした「海の守り神」という意味の「シーガーディアン」という英国調の正統派バーが誕生しました。グランドホテルで生まれた「バンブー」や「ミリオンダラー」、そして「ヨコハマ」も開業当時から提供されてきました。「ヨコハマとバンブーを作れるようになって、初めてニューグランドのバーテンダーになれる」と今でも言われています。

シーガーディアンと言えば、数多くの著名人が足繁く通ったことでも有名なのですが、第二次世界大戦の影響によって食材の調達が難しくなり、シーガーディアンも苦しい営業を強いられることになり、昭和20年(1945)の敗戦によって、状況は一層厳しくなりました。その頃、滞在中のマッカーサー元帥からドライマティーニの注文が入ったのだが、ドライマティーニに欠かせないドライベルモットがどうしても用意できなかったため、苦肉の策としてドライベルモットの代わりにシェリー酒を使ったドライマティーニを作り、提供したという。こうして生まれたカクテルは、現在でも「マティーニニューグランド」の名称で提供されています。

平成3年(1991)に本館の隣に新館(ニューグランドタワー)が建築され、これに伴い本館の各店舗もリニューアルが行われました。シーガーディアンもこの時に現在の位置に場所を移し、店名をシーガーディアンⅡ(ツー)と変更されました。今でも全く変わらないサービスとカクテルを提供し続けており、シーガーディアン時代から引き続き通われている常連も多いそうです。そして平成17年(2005)には、日本の百貨店で唯一の英国式本格バー、シーガーディアンⅢ(スリー)がそごう横浜店の10階にオープン。こちらは午前11時~午後5時までをティータイムとして、お酒以外の飲み物や菓子も提供している。もちろんシーガーディアンを代表する「ヨコハマ」や「バンブー」をいただくことが出来ます。

ビールキリンビール/SPRING VALLEY BREWERY

日本初のビール醸造所やビアガーデンが開かれた地、横浜でビールといえばキリンビールです。明治3年(1870)、開港間もない横浜の地に“ウイリアム・コープランド”というノルウェー生まれのアメリカ人のビール醸造家が降り立ちました。そして日本初のビール醸造所「スプリングバレーブルワリー」を設立しました。彼のつくるビールは、横浜居留地に住む多くの外国人たちの間で話題となり、やがて日本人にも飲まれるようになりました。さらに、自宅の庭を改造し日本初のビアガーデンをつくるなど、人生をビールへの情熱に傾け続けました。その土地はジャパンブルワリー、後のキリンビールへと引き継がれます。そしてコープランドのもとで修業を積んだ日本人醸造家たちは日本各地へとはばたき、日本のビール国産化の流れが形成されていきました。

現在のキリンビール横浜工場は、ジャパンブルワリーがあった山手から生麦に移転して2019年で93年を迎えました。キリンビール横浜工場に隣接する「キリンレストラン ビアポート」では、工場直送ビールを飲むことが出来ます。自慢のジンギスカンプレートや人気のはまぽーくのカツレツをはじめ、横浜発祥のナポリタンやシーフードドリアと言った横浜ならではの洋食が食べられます。また、夏季限定で「バーベキューガーデン」がオープンします。運河に面した屋外で、2時間制で食べ放題、ビール飲み放題で、ファミリーや仲間とにぎやかに楽しめます。

さらに、もう一つ工場に隣接する「スプリングバレーブルワリー横浜」は、1885年(明治18年)横浜山手に設立されたキリンビールの前身であるジャパン・ブルワリー・カンパニーの名称を受け継ぐ、クラフトビールが楽しめるビアタバーン(酒場)です。明治の横浜を思い起こさせるクラシカルな店内で、こだわりの料理と6種のクラフトビールの絶妙なペアリングを楽しめます。

なお、夏になると横浜中でビアガーデンがオープンします。開催中のビアガーデンの詳細については、「横浜のビアガーデン&BBQ特集」ページにまとめてありますので、合わせてご覧ください!

番外:ご当地ビール横浜ビール

他と比べると歴史はとても浅く、クラフトビールの発祥の地というわけではありませんが、横浜ビールは、ビール発祥の地、横浜で1999年4月29日に直営レストラン「驛(うまや)の食卓」をオープンし、その年の7月1日に「横浜ブルワリー」で醸造を開始しました。2019年でちょうど20年が経ちます。4種類の酵母を用い、チェコ・ドイツスタイルの豊かな香りとしっかりとしたコクと苦味を併せ持ち、飲み応え十分。 定番ビールは、横浜ラガー、ピルスナー、アルト、ヴァイツェン、ペールエール、道志の湧水仕込、瀬谷の小麦ビールの7種類。イギリス・アメリカ・ドイツ・チェコの4カ国のスタイルを汲むビールで構成されています。

横浜ビールの出来立て樽生は、醸造所に併設している直営レストラン「驛(うまや)の食卓」で、まさに作りたてのフレッシュなビールを飲むことができます。定番の樽生ビールはピルスナー・アルト・ヴァイツェン・ペールエール・横浜ラガーの5種類です。また横浜駅周辺では、そごう横浜店、高島屋横浜店、クイーンズ伊勢丹を始め、観光エリアでは赤レンガ倉庫や山下公園にあるハッピーローソン山下公園店などのお店で瓶ビールを買うことが出来ます。

また、横浜までなかなか行けない!という方は、楽天市場でも購入できます。【横浜ラガーピルスナーアルトヴァイツェンペールエール道志の湧水仕込

牛鍋太田なわのれん

牛鍋は横浜発祥と言われている文明開化の象徴です。横浜港が開港し横浜に外国人居留地ができたころ、外国の人々が食べていた牛肉に日本人が興味を持ち、食べ始めるようになりました。当時は、食べ慣れていない牛肉のくさ味を消すために、醤油や味噌を使い鍋で煮込むということをやってみたところ、あまりの美味しさに大流行したという。これが牛鍋の始まりとなる。

その牛鍋を創案したとされる鉄鍋を使用した元祖牛鍋屋が、明治元年(1868年)に横浜で創業した「太田なわのれん」です。サイコロ状にぶつ切りにした牛肉に、味噌とネギを用い、特製の底の浅い鉄鍋を七輪にかけて、 煮込むという初代が考案した牛鍋の味を守り続けています。そのほか牛鍋の老舗には、明治20年代創業の「荒井屋」と「じゃのめや」といった名店がありますが、この両店は当時のようなサイコロ状のぶつ切りにしたお肉ではなく、よく見かける薄くスライスしたすき焼き肉です。

となると、牛鍋ってなんだ?と思われると思います。「牛鍋」は、牛肉と野菜を一緒に鉄鍋に入れ、そこに割り下を流し入れた後、火をつけて『グツグツ』煮るもの。それに対して「すき焼き」は、はじめに肉を鉄鍋で一枚ずつ『ジュージュー』焼き、その後に野菜を加えていくというもの。さらにすき焼きには、関東風と関西風の2種類がある。関東風は、割り下を使用するのに対し、関西風は割り下を使用せず、ざらめ(砂糖)と醤油を使って味付けする、というものなんですよ。ちなみに荒井屋には「牛鍋」と「すき焼き」の両方のメニューがあるので、食べ比べてみるのも面白いですね。

割烹料亭田中家

「割烹 田中家」は、文久3年(1863) に創業した神奈川区にある横浜最古の割烹料亭です。店の前身は江戸初期創業の茶屋「さくらや」で、安藤広重の「東海道五十三次 神奈川」の浮世絵にも描かれています。当時の神奈川宿は、「弥次喜多道中」にも描かれ、最盛期には本陣、宿、茶屋が軒を並べ約1300軒の家屋がありました。そのなかで「田中家」は、唯一現存する料亭です。明治には、幕末の志士坂本龍馬の妻、おりょうも働いたことでも有名です。西郷隆盛と高杉晋作が倒幕の計画を練った場所でもあり、伊藤博文などの要人や、各国の大使、漱石などの文化人も数多くが訪れたという歴史を持っています。

ビジネスで大切なお客様をおもてなす場面や結納やお顔合わせのお食事会など、ご両家の親睦の始まりにふさわしい場所です。結婚式後のお食事会や御法事にもご利用いただけます。なかなか普段行くことは出来ませんが、親しいお仲間や、懐かしい方たちとのゆったりとした集いにはランチがオススメです。老舗ならではの華やいだ雰囲気と洗練されたお料理を楽しむことが出来ます。ほかにない落ち着いた格式ある和の空間は横浜では希少です。

サンマーメン玉泉亭

サンマーメンは、ハマっ子が愛する横浜発祥のご当地麺です。玉泉亭は中区で3代続く老舗中華料理店で、大正7年(1918)創業のサンマーメン発祥とされる老舗の一つです。サンマーとは、中国語で「生の野菜」という意味があります。炒めたモヤシやキャベツといった野菜のあんかけをラーメンにトッピングするという「和洋折衷」ともいうべき一品。戦後の食糧難の頃、港で働く男たちのために安くてお腹いっぱいになるようにと2代目・井田辰雄が考案したと言われています。今では横浜では当たり前の名物ですが、塩味の餡としょう油スープが絡む細麺は何度食べても飽きない優しい味です。横浜界隈では普通に食べられるラーメンです。

家系ラーメン家系総本山 吉村家

今や全国的にも広く知られている「家系ラーメン」は、関東地方を中心に展開していたラーメンショップの出身者の吉村実が1974年に横浜市磯子区・新杉田駅近くに開店した「吉村家」が始まりとされています。当時、長距離トラックの運転手を務めていた店主が「九州の豚骨と東京の醤油を混ぜたらうまいんじゃないか」と思い立ったことがきっかけだとか。

豚骨や鶏ガラから取ったダシに醤油のタレを混ぜ、鶏油を浮かべた「豚骨醤油ベース」のスープ、コシのある太麺と、ほうれん草、チャーシュー、海苔のトッピングで構成されているのが特徴。お店が産業道路沿いにあり、工場が密集するエリアだったこともあり、吉村家は、あれよあれよと言う間に工場労働者やトラック運転手の間で評判のラーメン店に。そのあと、ほかの場所にも店舗ができ、その弟子によってもその味が広がっていったそうです。今はあちこちで「家系」ラーメンを目にすることがありますが、「吉村家」の直系店舗として認められているのは5店舗のみです。

ケチャップ横濱屋本舗

明治29年(1896)に横浜で清水與助が創業した西洋野菜の栽培を行う清水屋が、明治36年(1903)に製造販売を開始したというのが国産ケチャップのはじまりです。この清水屋ケチャップは、大正2年(1913)に横浜市南区で開かれた勧業共進会で銅賞を受賞し、宮内庁御用達にもなったという。しかし、そんな清水屋も時代の流れの中でいつしか無くなってしまいます。

ところがその幻のトマトケチャップが、平成19年(2007)に横濱屋本舗取締役CEO・丸山和俊さんによって復刻されます。それが現在の復刻版「清水屋トマトケチャップ」です。丸山さんは当時は長野県でトマトを栽培していたのですが、ふとトマトはどうやって日本にやって来たのだろうとその歴史を調べていたところ、清水屋ケチャップのラベルにまつわる記事を見つけました。そのラベルを見に横浜開港資料館まで足を運び、地下に眠っていた当時(明治時代)のラベルに感動を覚えたそうです。

資料館にこのラベルを寄贈した方は、実は清水與助のお孫さんにあたる方で金子さんという方でした。清水屋ケチャップに魅せられた丸山さんはケチャップの復刻をお願いします。すると金子さんは喜んでくれ、長い道のりになる復刻作業が始まりました。当時の新聞に掲載されていた作り方もありましたが、金子おばあちゃんが小さい頃、ビール瓶にケチャップを詰める手伝いをしたり、宮内庁御用達のシールを貼ったり、かごいっぱいの調味料の“ズク”を運んだ思い出を参考にしたそうです。

そして最後までそれが何なのか苦労したのがこの“ズク”でした。ズクは大きくて生姜みたいにごつごつしたもので、海外から横浜港に運ばれて来ていた。それを仕入れて、すりおろしてたっぷりケチャップに入れていたそうです。いろいろと苦労した後、これが台湾で見つけたナツメグだったことがわかります。こうして材料は全て揃ったそうです。

そしていよいよレシピ作りとなるのですが、昔はトマトそのものがまずくて、いろんな添加物を入れてケチャップを作ったそうです。「最近は品種改良されてトマトそのものがおいしい。だからレシピをそのまま再現するのではなく、トマトや香辛料、玉ねぎもすべてオーガニックにこだわった、素材を活かしたものにしました。」と丸山さんはある記事で語っています。

2年の歳月を経て復刻版清水屋トマトケチャップがようやく完成しました。発売当初、短期間で売り切れてしまうほどの人気ぶりでした。「清水與助(よすけ)という人がいて、横浜発祥の清水屋ケチャップを作った。その事実を伝えたいんです。日本でトマトをつくり、ケチャップを作った、その清水さんの開拓者スピリッツを伝達していくための商品なんです」と丸山さんの思いがたくさん詰まっています。

「復刻版清水屋トマトケチャップ」は、JAS認証有機栽培のトマトケチャップ。最初にできた商品は、清水屋トマトケチャップ(瓶タイプ)で、贈答用に人気です。金子おばあちゃんがビール瓶にケチャップを詰めた思い出をもとにして、丸山さんが先細のガラス瓶を採用したそうです。日常的に使えるセミハードボトルは常備用としておススメです!製造販売元の横濱屋本舗のほか、横浜高島屋、東急ハンズ横浜店、ハッピーローソン山下公園店などで購入できます。ぜひ、ナポリタン、オムライス、チキンライスなどに使って見てください。

横浜まで買いに行けない!という方は、楽天市場やAmazonでも購入することが出来ます。清水屋ケチャップチューブ(楽天市場Amazon)、清水屋ケチャップ瓶(楽天市場)、横濱ナポリタンソース(楽天市場Amazon

番外:胡麻油岩井の胡麻油

横浜が発祥の地ではなく、創業地でもないので番外となってしまいますが、横浜で胡麻油と言ったら岩井の胡麻油です。安政4年(1857)、千葉県佐倉市で菜種・落花生・胡麻などの搾油業を創業。明治26年(1893)貿易で賑わう横浜へ移転して来て以来、120年以上横浜とともに歩んできた企業です。創業以来160年余、昔ながらの伝統的製法を守り、化学的製法や安定剤などの添加物を一切使用せずに、香味優秀な胡麻油を作り続けています。今でも機械任せにせず人が味を決めることで伝統の味を守っているそうです。

様々なタイプの胡麻油を始め、ラー油や練り胡麻も製造・販売しています。2008年横浜開港150年を記念の際には、「横浜開港祭」限定商品として「横濱純正黒胡麻油」と「横濱胡麻辣油」の2つの商品が開発されました。ラベルのデザインには、磐井の工場から見える横浜の名所がモチーフになっています。横濱001グッズ、全国推奨観光土産品などに認定され、神奈川土産・横浜土産としても好評で、高島屋横浜店やハッピーローソン山下公園店などのヨコハマグッズショップで買うことが出来ます。なかなか買いに行けないという方は、楽天市場やAmazonでもご購入することも出来ます。横濱純正黒胡麻油(楽天市場Amazon)、横濱胡麻辣油(楽天市場Amazon)。 また、胡麻油の簡単レシピも公開されているので参考にしてみてください。

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